仏教では私たち生きし生けるものは六つの苦しみの世界 (地獄道、 餓鬼道、 畜生道、 修羅道、 人間道、 天道) に生と死を繰り返しながらさまよい続けている、 と説いています。
しかし、 何も死後に限った話ではありません。日常的にも機嫌の良い日もあれば、 虫の居所が悪い日もあるように私たちの心や行いも六つの世界をぐるぐるとさまよっているのです。
六地蔵めぐりをしてそれぞれのお地蔵さまにお願いをすると迷いの世界から救われます。
◎地獄道は、 六道の最下層にあり、 生前に悪い事をした人が罰を受けるための苦しみだけの世界です。地獄は百三十六種類もあるとされ、 その刑罰は想像を絶するほど長く、 地獄の責め苦を受け続けるとされています。
地獄道を救う地蔵菩薩さま 手に持つ錫杖を地獄の底まで差し伸ばし、 人々を救済して下さいます。この錫杖にすがりついて地獄から抜け出して下さい。
『あれこれ思い悩み、 生きる事自体がつらく苦しい。この世の全てを不幸に感じる状態にあるときは、 人間の心を失って地獄に堕ちているのです。』
◎ 「餓鬼」 とは食べ物や飲み物を口に入れようとした途端、 炎となって燃えてしまい、 食べる事が出来ずに飢えと渇きに苦しんでいるお腹のふくらんだ姿の鬼です。嫉妬深く、 物惜しみする人間は餓鬼になってしまうと言われています。満たされる事のない欲望に支配されており、 餓鬼道から抜け出すのはとても難しいと言われています。
餓鬼道を救う宝処菩薩さま 花かごを持ち、 片手合掌をするお姿です。手に持つ花かごから餓鬼に施した食べ物は百味の飲食となり、 餓鬼道の亡者を救って下さいます。
お盆に亡き人が餓鬼道に堕ちないように大衆供養の施しをする事を施餓鬼と言います。
『他人への思いやりを忘れ、 あれもこれもと自分の好きなものばかりを求める欲望にかられている時は餓鬼道に落ちているのです。』
◎畜生道は牛や馬などの動物の世界です。弱肉強食の世界なので常に不安におびえる日々を過ごし、 互いに殺傷し続けあう状態です。他人がどうなっても自分が助かれば良い、 と言うような自己中心的な心の貧しい世界とされています。
畜生道を救う宝手印菩薩さま 旗を振り、 不安な心の迷いを払いのけ、 進むべき正しい方向へ導いて下さいます。
『まさに動物のように目先の欲望だけにまどわされ、 後先の事を考えずに行動している時は、 畜生道に落ちているのです。』
◎修羅の世界には、 闘争的な神 「阿修羅」 が住んでいます。その名の通り暴力によって争いが絶えず、 怒りと憎しみにあふれる世界です。欲望を抑える事ができない世界とされています。
修羅道を救う宝掌菩薩さま あなたの心の中にある仏性を合掌して拝んでいます。「どうか怒りの心を静め、 仏の慈悲心に目覚めて下さい」 と。
『自分だけの正義にこり固まり、 我を忘れてカッとなって、 相手の立場も考えずに許す事ができず、 激しい怒りに燃えた時は、 修羅道に落ちているのです。』
◎私たちのいる人間の世界は生老病死の 「四苦八苦」 があり、 自分の思い通りにならない悩み苦しみに満ちた世界ですが、 人生の楽しみも感じられる世界です。六道の中で唯一、 仏教に出会う事が出来る世界であり、 解脱して仏なり六道の輪廻から解放されるという救いがあります。
人間道を救う持地菩薩さま 仏教の象徴である念珠を持つお姿です。人として生まれ仏教の教えに出会う事ができた幸せに感謝いたしましょう。
『人間として生まれてきた目的は仏教に出会い。六道輪廻から抜け出し、 悟りの世界で幸福になることなのです。』
◎天人が住む世界です。天人は人間よりも優れた存在とされ、 寿命も長く、 ほとんど苦しみがないとされています。しかし、 悩み苦しみがなく快楽ばかりだと煩悩を断ち切る心が起きないので、 仏教とは出会えず六道輪廻の迷いの世界から抜け出すことができません。
天上道を救う堅固慧菩薩さま 手に持つ香炉から芳しい香りが漂っています。癒しの香りに包まれている時はまさに天にも昇る心地の良さです。
『心が落ち着き静かであり、 何も思い煩うこともなく、 胸中澄み渡っているような気分の良い時は、 天上界にいるのです。しかし、 永遠に続くわけではないので有頂天になってはいけません。』